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背番号2桝田雄太郎

ポジション:DF
生年月日:1985/03/27
身長/体重:180cm/70kg
前所属: 大阪商業大学
すらっとしたスタイルに、見るからに好青年の顔立ちだけでは、想像つかないほどアップダウンに耐えうる体力と負けず嫌いの性格を秘めている。

2007年地域決勝決勝ラウンド、NW北九州戦での膝の大怪我により2008年オフシーズンはリハビリに時間を割かれていた。
「全試合出場」
練習見学のたびに彼の口からは強気な目標がこぼれるが、走るその後ろ姿からは焦燥感がこぼれ出ていた。
結局、記念すべきJFLの開幕はおろか3月は彼の矢のように突き進む姿をフレームに納めることは出来なかった。

4月に入りようやくベンチ入りを果たすことが出来た。彼の復帰を祝すかのように桜がまだ咲いていた岡山、桃太郎スタジアムでは、結局アップをするだけに終わった。
試合終了後、「次こそは出ます」とバスに乗り込む、その後ろ姿を見送った。
数日後の水口スポーツの森で見た練習では、サイドバックではなくCBとして紅白戦に出ていた。長身を生かした守備は本来そこに居るべき選手よりも見栄えがよく、「もしかしたら・・・」とも思った。
その淡い希望は想像上に終わり、流通経済大学の若さに対し、自滅とも言える試合展開をしてしまった選手たちは皆人目を避けるかのようにこれから長い帰途につくため、バスに吸い込まれていく。自分たちが待っていることに気づいた彼は最初に「すいません」と謝罪の言葉を出した。
練習ではCBでプレイしていたことを告げると、この試合を見ての率直な感想を口にした。その後「でも、試合に出れなかったのは自分の実力不足」と自分を責めていた。

そして重苦しい空気も漂い漂っていたホームのアルテ高崎戦、絶望に落とし込まれようとしていたチームを浮上させるきっかけは、間違いなく彼のゴールからだった。引き分けに終わったけれども、劇的な幕切れには彼のパスがなければ立ち上がることすら出来なかったかもしれない。

彼は「ええカッコしい自分大好き人間」だと個人解釈している、もちろんいい意味でだ。自分の存在を認めてもらうために、努力が必要不可欠であると知っている。
試合に出るために道が険しくとも、努力を怠らない人間が居るチームは少し道が逸れようとした時にも腐らずブレーキになれると考えられる。
3年目、若い選手が多いチームとはいえ中堅位置になる。練習でも積極的に声を出し、厳しい生存競争を生き残ろうとする。試合に出れなかった悔しさを忘れていないであろう今季は彼にとってもMIOにとっても勝負の年だ

関連情報
桝田選手のお父さんは非常に熱心で、スカウティングのために岡山に行ったことがあるそうです
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MIOびわこ滋賀 > 選手紹介2009 | permalink | comments (1) | trackbacks (0)

この記事に対するコメント

ますのお父さん、超バモス。いつもお疲れ様です。

初めてビラ配り行って、選手もあんま知らなくてびくびくしてた時、最初に声かけてくれたんがますとやまごーでした。あれはうれしかった。
「No.1 No.2」(ナンバーワンの背番号2)になってほしい。
たなか | 2009/03/14 12:58 AM
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